『まさか世界文化遺産候補構成資産を外してくるとは・・・^^;』
妹の選択に思わず苦笑いしたボク達。とは言えここでうだうだも出来ない。
何せ吹き抜ける風が凄まじいのだ。
それとボクは今日のこの日よりも明日の出航が既に気がかりになっていた。
明日、長崎市内に帰れないと飛行機に乗れないわけで・・・^^;
第808話、ボクこと菅原雄介視点で物語りは進みます^^
津和崎方面から有川地区にUターンしてきたボク達は、
一路進路を西側の『青方港』方面へととることにした。
風向きのおかげか北進していた頃に比べると、風もいくらか和らいでいることに気づく。
『ぐおおおお!見えてきたっす!煉瓦ちゃん(*´д`*)』
有川から15分くらいかな?
港の小高い丘に立つ茶色い建物を見つけた琴音が大騒ぎした。
一旦波止場で止まってから今一度確認をするわけだが、見た感じではレンタルバイクで教会のすぐ近くまで行けそうな感じだ。
とは言えボクはあえて丘の下へと彼女達を先導した。
『スガワラサンが何故、下のルートをとったのか不思議デシタガ、そう言う事デスネ^^』
そう。上からも行けるのだけれども、どうせなら下から煉瓦の遊歩道を登って行ったほうが趣があるんじゃないかと思っただけだったりするw
『なんちゅー遠回りしてくれるんすかねえ・・・って思ったっすけど、こういうことかw まあそのお兄ちゃんの発想嫌いじゃない☆』
ボク達は煉瓦の階段を一歩一歩踏みしめて、丘の上に立つ教会へと向った。
『わきゃー☆ようこそ!って言ってくれてるみたいですう~^^』
辿り着くなり大曽教会の前には大手を広げたキリスト像が。
本当に迎えてくれたように思えてくる^^
ボクはここもいつものように説明役を買って出る。
説明したがり・・・と言われてもかまわないw
知って欲しいから。ただそれだけだ^^
でも長々と話すと彼女達にはあんまり興味をもってもらえないので簡素に説明^^;
本当に興味を抱いてくれるのなら本人に任せるのが一番いいのだ(現代っ子は特にな)
自分で調べた方がきっと身になるのだから^^
コホンと一息ついてから概略を彼女達に。
『この大曽教会は、元々は明治12年に別の場所に建てられた教会だったんだけれど、
大正4年に移築。
そして鉄川与助さんの設計施工で
大正5年に煉瓦建築教会へとなったんだ^^
ちなみに柱頭の彫刻はお父さんである与四郎さん。
鉄川親子のコラボ建築教会ってとこかな^^』
・・・正直コラボって表現もどうかだが、彼女達にはそういう表現の方が分かってくれやすいのだw
琴音以外には正直感動薄いのが実状で・・・
夕実ちゃんもリンダも『へえー!』とは言うものの、そこまで感心あるのか疑わしい(少し穿った見方だが、それが事実だ^^;)
興味ある者と興味無い者の差。
この温度差はまあしょうがないよねw
ーーーさて、
ここからは自由行動。
リンダと夕実ちゃんはいつものように拝礼へ
(こここそ礼拝したほうがいい。西独逸製のステンドグラスの採光に時を忘れると思うよ^^)
そして同じく妹の琴音は煉瓦刻印探しに^^;
ただし今回は琴音にひとつだけ言っておいた。
『オイ琴音。この大曽教会の煉瓦は早岐産だ^^ 今で言う佐世保で焼いた煉瓦だそうだ。
純然たる国産赤煉瓦だし・・・もしかしたらば煉瓦刻印見つかるかもしれないぞ?』と。
すると妹様は鼻をフンガー!と鳴らして意気揚々☆
『お兄ちゃんサンキュー!』と大曽教会の外壁周りに駆け出していった^^
まあボクは琴音ほど煉瓦の刻印にはこだわってない。
でも妹が喜ぶならばと、自分の視点で捜して見る事にした。
大曽教会は鉄川さんにとって煉瓦造りの教会の施工は5~6番目の教会だと思う。
自分の地元の教会というだけあって、それまで培った技術の粋をここに注入している。
そしてここもまた、上五島に新天地を求めてやってきた隠れキリシタンたちが建築の際に助力を惜しまなかったのは言うまでも無い
(この地域こそかつては純度100%のカトリック信者さんたちの地域でもあったと言われています^^)
庭木の煉瓦にも一応注目してみる^^;
縦窓っていいよね~^^
ボクはとても好きだ☆
床下通気口も当然見てみる。
ここは意外と煉瓦の平面が露出してる部位でもあるからだ^^
さて、ここからは『うーん・・・あんましそれっぽいのないいっすねお兄ちゃん^^;』と渋い顔をした琴音と合流。
『お兄ちゃんも探してみるから諦めんなよw』と声を掛け、
妹様と今一度、煉瓦刻印探しに勤しむ事になったのだ^^
『うーん・・・それっぽいかな?ってのはいくつかあるっすけどお・・・ザ・刻印!って断定できるのは無いっすねお兄ちゃん^^;』
『そうだなあ^^; 怪しいのはあるのだが・・・』
教会表側の軒下・通風孔口と可能性がありそうな場所を一緒に見て周ったが、それらしいものは特に見つけられず・・・。
それならばと入り口付近に行ってみた。
そこにはこの教会のシンボルがおで迎えしてくれたのだがーーー
『なんか蕪に十字架刺さってるみたいな意匠っすねマジで^^;』
こら!それは蕪じゃないから^^;
蕪に見える意匠は『ハート(心臓)』だってばよおう^^;
まあでも確かにハートマークの根っこの部分が蕪っぽいと言われれば確かにそうだけどなw
結局入り口付近には刻印らしきものも無さそうなので、
今度は裏手へと回ってみた。
恐らく経年劣化の所為で浮き出ただけであろう傷が煉瓦の刻印ぽく見えるだけで、
明確なものもやはり無い感じ・・・^^;
焼き色の違う煉瓦で外壁を施していますと記述されていたのだが、
裏手に来て納得。
しかも焼過煉瓦(黒っぽい煉瓦)の部位は『小口積み』で
それ以外の赤煉瓦部位は『イギリス積み』
積み方と色を替える変化のある外壁が粋な建築だ^^
結局刻印らしきものは見つからないまま夕実ちゃん・リンダと合流。
ボクは腕時計を皆の前に突き出して指し示す。
『もう・・・あんまり時間が無いみたいだ^^; でもあとひとつだけ周るからボクについてきてくれるかな^^
そこは宿屋への帰り道に近いからさ^^』
『『『は~い☆』』』
と言うことで、本日最後の教会へと向うことにした。
そこは長崎本土へと帰った時に『きっと意味を成すもの』でもあったから、あえてボクは選んだ教会でもある。
お賽銭ならぬ献金を幾らかしてから、ボクらはレンタルバイクの場所まで戻り、再び来た道を引き返すーーー
---有川地区が向うに見えてきた頃合に、
ゆっくりと右折をする。
方角的には南下ってことになるかな。
そこから少し軽く山を越えると遠くに『鯛ノ浦港』が見えてくる。
・・・ふと、
『鷹の巣キリシタン殉教碑はコチラ』という矢印が目に止まった。
予定には無かったけれどボクは思わず後続の皆に合図を送って寄ることにしたんだ。
そこは工事現場というか工事機材の置き場みたいな場所だった。
砂利道にスクーターの足も空回る。
その奥にポツリと石碑があった。
ボク達は近くにスクーターを止め、その石碑に近づいたのだが、
そこにあったこの殉教碑が何なのかの説明を見て誰もが声を失う・・・。
『ううう・・・ひどいです』
皆の中で一番最初に発した夕実ちゃんの言葉に皆ウンウンと頷いた。
明治初頭まで続いたキリシタン禁教政策。
その迫害は凄惨なものだったのだ・・・。
1870年(明治3年)この地区で有川郷士と名乗る4人組が、
『キリシタン征伐に来た!』とのたまい民家に侵入した。
2家族6人を惨殺したのである・・・。
その中には妊婦もお腹の中の子供もいたそうです。
キリスト教信者というだけで殺された。
『ありえないっすよ・・・なんで異教ってだけで殺しちゃうんすかね!』
『わきゃあ・・・信じるものが違うだけ。他に危害を与えるわけでもないのに。。。 こんなの絶対おかしいです!ううう・・・』
『ワタシはこの件は特殊だと思いたいところデスガ・・・、宗教の違いって戦争まで引き起こしてきたのは歴史が証明するのも事実デース・・・』
皆、堰を切ったかのようにキモチをぶち上げた。
悲しみを通り越し、憤りが熱い議論へと変わって行ったのである。
ーーー真剣に考えてくれて嬉しかった。
そしてここに寄った意味や意義はきっとあったと思う。
ボク達は殉教碑に手を合わせて礼をし、再びスクーターへ跨るのだった。
---殉教碑から数分でしょうか
ボクの今日の最終目的地へとやってきたのである。
そこは港へと続く県道22号線から逸れた小高い丘の上にあった。
『わきゃー!小さな教会さんですう^^』
メットを脱ぐなり夕実ちゃんが教会に指を差す。
『お!木造かと思ったっすけどちょっと煉瓦もあるっぽいねお兄ちゃん(*´д`*)』
さすが我が妹様は目ざといねえ^^;
そう、この教会は小さいし木造でもあるが煉瓦もちょっとばっかし存在する。
今まで見てきた煉瓦やコンクリ・木造建築の教会と見比べても、そこまで派手でもない。
表現するならば『プチ教会』って感じだ(失礼なことだが)
『可愛らしい教会デスネ^^』
リンダがそう言うのもわからないでもない。
荘厳さは外観からはとても見て取れない(正直ファンシーです☆)
木造建築の教会の入り口部位には煉瓦造りの鐘塔があった。
『くはー!お兄ちゃんがココに連れてきてさあ、最初は木造教会か・・・って思っちゃったけれどお、
この煉瓦の入り口はいいね!いいね!渋いね(*´д`*)
・・・で、本題だけれどもさあーーー』
煉瓦の鐘塔を見上げて浮かれていた琴音が急に真剣な顔つきになった。
そして聞いてくる。
『ねえお兄ちゃん。ここって鉄川与助さんがやっぱり絡んでくる物件・・・でしょ?』
その彼女の目つきは真面目だ。
中々良い目をしてるじゃんか^^
『後で説明するさ^^』
『なんだよもったいぶって。お兄ちゃんのそのいやらしさがムカつくぜw』
ボクはもう少し見て周ってから説明するからと妹に言う。
ボク達は教会外観を一通り見学し、中にも入って礼拝をした。
『わきゃ~、中は本とか結構一杯ありますですね^^』
夕実ちゃんが一杯って表現したけれど、そこまでは無い。
入り口から入ってその周囲に数個の本棚とテーブルの上に何冊かの本があったくらいだ。
子供が読むような児童書が多くあったかな^^
教会内はコウモリ天井の素敵な内観。
撮影してもかまわなそうだったけれども、
ボクはいつものように撮影は控えた。
一通り内観見学をし終えたボク達は、
駐車スペースから道を隔てた裏手にある『ルルド』へ立ち寄ったんだ^^
『ワオ!こんなとこにも聖水がありますデース(*´д`*)』
リンダ大喜び☆
なんせ当初の目的はリンダが聖水を欲しがっていたからこの旅が始まったんだしね^^
ボク達はひしゃくで掬った聖水を片手に取り唇にあてて潤し、マリア様に手を合わせて礼をする(日本式と洋式の合作みたいな儀礼だねえ^^)
そしてここにあったお約束の説明版の前でボクは彼女達にこの教会のことを説明するのだった。
『さっき見て周ったこの教会は旧鯛ノ浦教会堂って言うんだよ^^
なんで旧かと言うと、今現在は教会としては使われてないからなんだ。
この教会の向こう側に立ってる建物あるだろ?』とボクが指を差す。
すると真っ先に夕実ちゃんが確認をした。
『わきゃ!? なんか白い建物あるですね^^』
『そう。それが今現在の鯛ノ浦教会なんだ^^
今まで見てきた教会っぽいのは元々教会として使われていた建物なんだけれど、今は資料室とか図書室的に残されてるそうだよ。
元々は宣教師ブレルさんによって建築された養育院。
簡単に言うと生活困窮者を救うために建てられた建物だった^^
そしてそこにこの旧鯛ノ浦教会が建てられたわけなんだ。
明治14年(1881年)創建。
明治36年(1903年)に建て替えられたその姿が今現在の旧鯛ノ浦教会堂^^
そしてーーー
この煉瓦の鐘塔部分は昭和23年(1948年)に新たに増築された場所なんだがーーー
鐘塔外壁に使われている煉瓦は
長崎原爆で被災した爆心地近くに立つ旧・浦上天主堂の
被爆煉瓦なんだ』
・・・思わぬキーワードの出現に、彼女達は『・・・えっ!?』と小さな驚きの声をあげる。
そりゃそうかもだ。
だって普通の煉瓦ではないのだ。
普通の教会じゃないのだから。
ここはキリシタン迫害から原爆までを見続ける小さくとも最強の教会だったんだから。
ボクはその皆の顔を見て更に続けるのだった。
『この鐘塔の増築は昭和21年(1946年)~昭和24年にかけておこなわれたわけなんだけれど
鉄川与助さんもこの増改築に関与したとも言われているんだ^^
その鉄川さんは太平洋戦争前後13年間には、
教会建築に関わることが出来なかったとも言われているのだが(資材は軍に接収される時代でしたし、教会を造る世の中の雰囲気では無かったのもある)
鯛ノ浦教会堂の煉瓦造りの鐘塔だけは関わったそうなんだ。
彼は旧・浦上天主堂の建設にも関わり、その中でド・ロ神父やフレノー神父に多くを学んだ。
言わば彼にとっての勉強の場でもあり思い入れのある教会だよね。
その浦上天主堂は1945年(昭和20年)
長崎原爆で被災しほぼ全景を留めることなく破壊された。
詳しい資料が無いから推測になってしまうけれども、
恐らくこの旧鯛ノ浦教会堂の鐘塔に旧・浦上天主堂の被爆煉瓦を使ったのは彼の原爆へのメッセージでもあると思うんだよね^^』
長々とつい喋ってしまったが・・・
彼女達は分かってくれたらしい。
皆、改めて振り返り、煉瓦の鐘塔を見続けてくれたのだから。
(※ 鉄川さんという方は教会建築の際、地元住民の寄付金の負担を考え、その土地にあった旧教会の廃材や資材・石材などを多く取り入れたエコ建築士でもあったわけで、
浦上天主堂の廃煉瓦も利用できるなら利用しようって発想だったかもしれない。
でもボクはきっと旧鯛ノ浦教会堂にこの被爆煉瓦を使用したことにきっと意味があるのだと思っています^^)
ボク達は今一度煉瓦の鐘塔の前に戻り、それを見ながら手を合わせるのでした。
さて、このままレンタルバイクを返却しに帰ろうと思ったのだが、
どうしても明日の航路が気になって気になって仕方が無かった。
『えっと皆^^; 明日の船が出る港を確認しておきたいんだけどいいかなあ^^;』
『わきゃー^^; 実は私も気になっていたですう。風が強いですし^^;』
『奈良尾港から帰るんじゃ無いの?お兄ちゃん』
『長崎に帰れるのか不安デース^^;』
やっぱりみんなも不安だったらしい。
だからすんなりとOKが出た。
ボクが当初予定を立てていたのは、中通島に到着した時の奈良尾港からジェット船で長崎本土へ帰る感じだったのだが、
何でもこの鯛ノ浦港からも別の商船会社のジェット船で長崎本土へ帰れるらしいとパンフレットに書いてあったのだ^^
奈良尾港に戻るのはだいぶ時間のロスだし、宿屋から近いこの鯛ノ浦港からなら最終日に多く時間を取れそうと思ったわけである。
---旧鯛ノ浦教会堂から数分して
ジェット船乗り場の建物らしきものが見えてきた。
すると、道路わきにこんな車が駐車していた。
『わきゃー☆ 車に本が一杯ですう^^』
『移動図書館デショウカネ?スガワラサン^^』
『たぶんそうだね^^』
離島と言うのは島の中の行き来や往来も大変だったりする。
離島中心地にしか無い図書館へ移動するのも一苦労だ。
大人ですら一苦労。子供なら尚更だ。
だからこそこういう移動図書館という行政サービスは素敵なことだよね^^
『漫画とかないっすかね~^^』とツマラナイ戯言を言った妹のおでこにチョップをして、
ボク達は先を行く。
長崎行きのジェット船乗り場に辿り着いたボク達は、乗船時間を調べるついでに明日は船が出そうですか?と確認をしてみた^^
『大丈夫ですよ^^』と言う受付のお姉さんの言葉に皆でガッツポーズをした☆
すっかり安堵したボク達。
『じゃあ帰ろうぜ皆^^』と意気揚々と合図を送ると、
『もうお腹ぺこぺこですう^^;』
『そうだよお兄ちゃん・・・』
『断食かと思いマシタ^^;』と皆からブーブー。
・・・ああそうだった。
よく考えたら今日はご飯全然食べてなかったじゃんねw
『急いで帰ろうw そして旅館のご飯でもガッツリ食おうぜ!』
『私はビールでくわあああああっ!ってやりたいっす☆』
こんだけ腹へってたら何でも美味そうだ。
たぶんお酒も美味いに違いない^^
ボク達はレンタルバイクに跨りジェット船乗り場をいそいそと後にした。
(ちなみに、この港から見える船でしか行けない神社に興味をもってグルグルと渡れないかな・・・と探しまくったのだが、それは割愛します^^; すげー気になるんだけどここw)
レンタルバイクを返却し、次はこの近くに予約した宿屋へと向ったボク達だったのだがーーー
『わきゃ!? 民家の間にへんてこな山があるですう!』と夕実ちゃんが見っけたのだ。
えっと・・・なんだこれ???
---次回はこのへんてこりんな物体と夕飯!
そして長崎本土への旅へと続くことになりますーーー